室町時代の書物『公事根源』から見る昔の甘酒の世界

公事根源(くじこんげん)とは、1422年(応永29年)の室町時代中期に、一条兼良によって書かれた全1巻の宮中の年間行事をまとめた書物です。この書物には『醴酒』という記述の甘酒に関係のあるキーワードが出てきます。

公事根源が書かれた頃の時代背景と醴酒

公事根源が書かれた時代は、室町幕府が隆盛を極め、金閣寺(1397年)を建立したことで有名な足利義満の時代の直後ですので、圧倒的に武家の時代だったのでしょう。この頃の公家はかなり衰退しており、代わりに古くからの朝廷や公家・武家にまつわる行事や慣習や古典の研究の担い手として活躍していたそうです。その中でも、この一条兼良はその分野で多大な功績を納めた方でした。

公事根源の内容は正月から12月までの宮中における行事や儀式の起源や沿革について書かれています。

 

この書の6月の行事をまとめた項目に『供ス醴酒』とあり、甘酒の由来となったと言われている『醴酒』を献上することについて書かれています。

 

本文より訳すと、

 

ひとよさけとは、今日造れば、明日には提供できる。一夜を隔てる竹葉の酒なので、一夜酒(ヒトヨザケ)といい、またはコサケとも、ある書に書いてある。

ある書とは930年代の平安中期の頃に書かれた漢和辞典の『和名鈔』を指していると大正時代の文献にあります。

昔は口に米を含んで噛んで、夜を経て作った。この酒は造酒司から6月1日から7月30日まで、毎日献上される。

応神天皇(15代:270年頃即位)の時より始まる。おおかた、酒を造る事も、この時に百済から人が来て造り始めた。これより以前には、酒というものはなかったと人は言うけれど、神代に須佐之男命がクシナダヒメ(稲田姫)の為にオロチを倒した時、八しほりの酒(ヤシホリノサケ)を造ったことが、日本書紀に見られる。すなわち、酒というものは神代よりあったのだ。

※ヤシホリノサケの『しほる』とは、この時代の酒造りの特徴で、一度の発酵で、十分なアルコール度数に達しない為、何度も繰り返し仕込んで濃い酒にしていたそうです。

 

今回は1615~1925年間(江戸初期∼大正)の文献より、翻訳しましたが、この時代の醴酒とはアマザケとのルビがあるものの、江戸末期に書かれた守貞漫稿にある『醴=甘酒』とは異なり、麹を多く用いた甘口のお酒を指していたのではないかと思われます。大正時代の文献からはコサケとも呼ばれていた醴酒は、粉の酒ではなく、滓の粉が澱むドブロク系の酒であったことを指しているともあります。

 

参考文献

・国立国会図書館デジタルコレクション:公事根源/一条兼良 著/元和年間(1615~1624年)に出版。コマ番号78。醴酒⇒アマザケと仮名が振ってある

URL:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532178/78

・国立国会図書館デジタルコレクション:公事根源2巻/1649年(慶安2年)に出版。コマ番号32。醴酒⇒コサケ、ヒトヨサケ、アマザケと仮名が振ってある。

URL:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2583447/32

・国立国会図書館デジタルコレクション:公事根源新釈下巻/関根正直 著/1925年(大正14年)に出版。コマ番号20。醴酒⇒ヒトヨサケと仮名が振ってある。

URL:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1210316/20

・新もういちど読む山川日本史:山川出版社/五味文彦・鳥海靖 編/123~145頁


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