平安時代の法律書『延喜式』から見る昔の甘酒の世界

延喜式(えんぎしき)とは905年(延喜5年)に醍醐天皇(60代)の命により編纂が開始され、927年に全50巻が撰修、967年に施行された古代日本の法律の施行細則です。この延喜式40巻の『造酒司(みきのつかさ)』の項目に『醴酒』という甘酒に関係のあるキーワードが出てきます。

延喜式と古代日本の法律(大宝律令と養老律令)

今回は、この法律に記載されている項目の話になりますので、この時代の法律に関して少し説明します。

まず、この法律とは、701年に制定された『大宝律令』と757年に制定された『養老律令』のことです。現在の日本国憲法を思い浮かべても、その時の情勢に合わせて常に微調整が加えられるのが一般的な認識かと思います。この情勢に合わせた微調整に当たる補充法案や改正法案を盛り込んだものが、830年の『弘仁式』、871年の『貞観式』、そして967年の『延喜式』というものになります。

この律令は、中国の唐(618~907年)の法律を参考に定められたもので、刑法にあたる律と行政法や民法にあたる令で成り立っています。

この令に規定された天皇を頂点とする政治の仕組みは、神祇官と大政官の2官を置き、大政官とその組織の下に8省が設けられ、そこで審議・決定したことを天皇から裁可を頂き、各省が実行するというものだったそうです。現在の政治に例えるなら、太政官は総理大臣、審議の場は国会、各省は省庁とイメージすればわかりやすいと思います。

この8省の中に宮内省(宮内の事務などを司る省)があり、この組織の一部署に酒造を管轄する『造酒司』があります。

 

延喜式に書かれた造酒司の規定

延喜式40巻の造酒司の項目には、酒造に関する決まり事、どの様な酒を、どれくらいの配合割合で、それだけ造り、その様な生業や身分の者に配分するのかなどが書かれているそうです。

つまり、この時代にどのような酒が、どの様に造られていたのかわかるという事なのです!

文献には10数種類の酒の製法が書かれていて、原料配合や生成量が具体的に記載されているとあります。

 

延喜式に書かれた『醴酒』

『醴酒』は天皇や公家に供される高級酒(御酒糟)の一つで、延喜式には、

 

醴酒者、米4升、麹2升、酒3升を合わせて醸し、醴酒を9升得る。この配合割合で6月1日から7月30日まで日に1回造る

 

とあり、米・麹・酒で仕込むみりん系の酒であったことがわかります。

 

また、延喜式の注釈として延喜年中(901~923年)に撰出された『令集解』には、『醴は甘い酒である』とあります。

さらに、『令集解』の引用文献にある『集解古記』という書には、『一宿熟也』つまり、『一晩で出来る一夜酒』であったことが書かれているのです。

 

平安時代の『醴酒』とは、米・麹・酒で仕込む一晩で出来る甘い酒であったことがはっきりとしました。

 

僕が大学の時に、授業で『みりん』を飲ませてもらったことがあるんですが、発酵期間が浅いみりんは色が薄く、変な癖もなく、非常に甘くて美味しかった記憶があります。

現在の梅酒やカシスオレンジの感覚で美味しくいただけることをその時知りましたが、その様な感覚で、この『醴酒』は、貴族に飲まれていたのではないでしょうか。

 

参考文献

・万葉の古代と酒/加藤百一

・源氏物語に見える酒/加藤百一

・『延喜式』の酒/松本武一郎

・考古学からみた酒造り/奈良文化財研究所・玉田芳英

・新もういちど読む山川日本史/山川出版社/五味文彦・鳥海靖 編/44~48頁


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