こんばんは!
甘酒造りを始めて20年以上の甘酒探求家黒猫クロぶーです。毎日、お昼に更新しておりましたが、ネタが尽きて夜になってしまいました。毎日更新のネタってどうすりゃいいんだぁぁぁぁぁーと叫びたくなりつつあります(笑)
今回は、そんなときにフッと舞い降りたお話をお伝えします。
今、僕の知り合いに音楽の話(特にクラシック)が滅茶滅茶好きなクラリネット奏者が居ます。彼は大好きな音楽の話をとても沢山してくれるのですが、内容がマニアック過ぎてほぼ付いていけないのです。
まず、簡潔に付いていけない理由を分析すると
①キーワードがわからない⇒英語で例えるなら僕の語彙力不足
②彼は音楽をたぶん盤面で捕らえている⇒僕はその盤面である受け皿がない
③音楽の良さは判るけど、具体的な素晴らしい点がわからない⇒甘酒は健康にいいけれど、何がどうしていいのかわからないに近い
④以上、情報が過多である⇒脳の処理が追い付かない…
彼曰く、『これ以上話をすると専門的になる』というが、これ以前の段階で僕にとっては滅茶滅茶専門的…つまり、彼の説明はこの段階でもかなり簡素に伝えているという事なのだ。
ここで、彼はその道の『専門家』であり、『マニア』である。そして僕は『ド素人』であり、所謂『一般人』なのだ。
僕は、思いました…これはちゃんとターゲット『伝える人』の感覚を忘れてはいけないと…
僕は、甘酒探求家として、甘酒にまつわる記事を書いたり、講座を開いたりしています。もちろん、ターゲットであるサイトの来訪者や講座に来てくれるお客様に伝わりやすいように、楽しんでもらえるように意識し、工夫を凝らすようにしています。
しかし、自分にまずは問うべきは、『情報が過多すぎやしないか』という事と、『相手が何を求めているのか』である事なのだと…その上で相手を満足させる工夫をすべきであると…
勿論、頭では今言ったことは判っているつもりでした。しかし、僕の専門から完全に外れた分野の専門家の話を聞いたときに、僕が簡単に伝えているつもりの情報が、全く簡単ではない現実を垣間見たのです。そう、この①~④の感覚!!
専門家としてマニアックを貫くのは勿論非常に大切なことなんですが、伝える相手が存在するなら、相手の事をもっと観察し、伝え方を考えなけりゃならないんです。
これって、機械の取り扱い説明書が難解なこと、インターネットで調べた内容が難解なこと、マニアック過ぎて良さが伝わらない商品、外国語がわからない、大学教授の授業が非常に難解なのも、市役所で言ってる説明が難解なのも、国の制度がややっこしいのも、高校教師がわからない生徒の気持ちがわからないのも全て、全て、全て…
与える側と受ける側の『情報量の解離』、『情報を受け取る基盤(知識網・皿)の差』、『その差を本当の意味で理解してやり取りできているか』に集約されるのだと感じました。
些細なことでもこの『専門』と『一般』の境界線は存在しており、これを見抜く目を養う必要があるなとシミジミと感じました。
ちなみに、その彼が勧めてくれる音楽は、とても興味深く、今まで見ない世界を垣間見れて非常に楽しいのですが、それでも境界線というものは存在しているのだ。
同感!