甘酒祭20:岐阜県高山市江名子町の荒神社の閏年だけの甘酒祭

岐阜県高山市江名子町の荒神社

甘酒との所縁

高山市江名子町の荒神社について

高山市江名子町の荒神社は、JR高山駅から南東に5キロの山中に鎮座しています。

長谷川忠崇(1694-1777年)が記した飛州志には、御祭神に関して日本書記には埴山姫命(はにやまひめのみこと)・奥津日子神(おきつひこのかみ)・奥津日売神(おきつひめのかみ)であることが記されています。日本書記は720年頃の日本最古の歴史書なので、当社の起源は1300年以上となりそうです。

飛州志には当時の御祭神は土の神である埴山姫命、竃の神である奥津日子神(おきつひこのかみ)・奥津日売神(おきつひめのかみ)の3柱が記されています。
しかし、
岐阜県神社庁のホームページには火の神である火結神・火之夜芸速男神(いずれも火の神カグヅチ)、竃の神である奥津日子神(おきつひこのかみ)・奥津日売神(おきつひめのかみ)の4柱となっており、違いが見受けられます。

当社は古くから女人禁制の地となっており、その理由は女神様を祀っている為という話も書かれていますが、埴山姫命との兼ね合いなのかどうか、詳しい事まではわかりませんでした。

さらに当社には、もう一柱、甘酒祭の起源となる神様が祀られています。

甘酒祭の起源となる神様の伝承は、神社の起源のエピソードと異なりますので、次項に記載していこうと思います。

 

荒神社の甘酒祭の起源

岐阜県高山市江名子町のバンドリ当社の甘酒祭の起源は、江名子の地で源十郎焼きの窯を開いた加藤源十郎が、仙人から「江名子バンドリ」という蓑(雨具)の作り方を伝えて頂き、里の人々に伝えた伝承から来ています。
仙人の霊を当社に合祀し、その感謝の意を示す甘酒祭がこの時より始まりました。また、この伝承は閏年の旧暦11月18日であった為、この甘酒祭は4年に一度の閏年の新暦1月初めの土日頃に行われるのです。
加藤源十郎は江戸時代初期(1600年代)の人物であったため、この甘酒祭は約400年ほどの歴史がある計算になります。

当社の甘酒祭には古くから、醴(甘酒)と餅が御神饌として供えられ、また参拝客への直会として用いられてきました。

江名子町の荒神社の甘酒仕込み① 江名子町の荒神社の甘酒仕込み②

甘酒は古くから、田や畑で米を炊き、その時の炭を退かした暖かい場所に甘酒を仕込む樽を置いて一昼夜掛けて作られました。

餅に関しては時代ごとにレシピに変化が見られ、享保年間に記された飛州志には餅は米・大豆・小豆を捏ねて作るとあるが、岐阜県神社庁には、米・大豆・小豆・粟(あわ)・稗(ひえ)とあります。

岐阜新聞1999年1月10日の江名子町の荒神社の甘酒祭

1999年(平成11年)の岐阜新聞の記事には大豆・小豆・粟(あわ)・稗(ひえ)・芋の五穀餅と白子餅とあり、現地で町長から伺ったレシピは大豆・小豆・粟(あわ)・芋(サツマイモ)・栗(くり)で作る五穀餅、それと一緒に生米をすり鉢で粉にして砂糖と合わせて捏ねた白子餅(生しとぎ)であった。

 

荒神社の甘酒祭の感想

江名子町と甘酒祭

2020年1月12日(日)の地鎮祭及び甘酒仕込み、1月13日(月)の甘酒祭本祭が執り行われた。例年、高山の地はこの時期1メートル近くの雪に覆われるのですが、今年は全く雪がない状態で、近隣の合掌造りで有名な白川郷にも雪がないという異常気象に見舞われていた。

13日当日の江名子町の気温は最高気温5度、最低気温2度と寒いながらも過ごしやすい陽気でした。

 

2020年1月12日(日)の地鎮祭及び甘酒仕込み

地鎮祭は10:00頃から御神饌に用いる食材、道具諸々を公民館前に祀り、祭の始まりに際しての祈願が行われます。

12:00頃から甘酒仕込みに用いる米を炊き始め、13:00頃から樽に甘酒を仕込み始めます。

江名子町の荒神社の甘酒仕込み③

甘酒は麹3斗(体積54L)、米3斗(体積54L)を10分割で仕込み、総量160kg前後の甘酒が出来上がる計画なのだとか…非常に多い量である。

昔は田んぼの真ん中で米の煮炊きなどを行い、その際に温まった地熱を利用して発酵させていたそうですが、現在は公民館の中で発酵させて作られていました。数年前に赤く燃える炭の上に樽を直接乗せて燃えてしまったのエピソードもあったのだとか…

翌日、米を炊いていた場所に行き、地面に手を当てると確かに暖かかった!!保温性がどれだけあるのか具体的な所は判らないが確かに地面は熱を保持しやすいのだろう。

江名子町の荒神社の甘酒仕込み④

 

甘酒は17:00頃までに、様々な創意工夫を施されながら、仕込まれていき、夜通し管理されたのちに、翌朝の9:00頃に完成となります。

 

2020年1月13日(月)の甘酒祭

出来上がった甘酒は2つの樽に分けられ、公民館から神社へと運ばれていきました。
江名子町の荒神社の甘酒①

一部の甘酒は、お土産用として公民館で小袋に分けられていく。

この時の甘酒の糖度は40.7%、ほのかに乳酸発酵の香り、麹の香りたち、程よい甘みと酸味がありました。

 

江名子町の荒神社の甘酒祭①

12:30に公民館から神社へと人々が移動を始めました。

荒神社は薄らと湿った空気が漂う苔が生した樹々に囲まれた山の中、谷間を流れる小川を越え、長い階段を登った先に鎮座していた。階段の中腹辺りに、夫婦杉が立っていたようだがこの時は気が付くことができなかった。

 

江名子町の荒神社の甘酒祭②

 

社殿には沢山の剣の様なものが祀られているがいったいどのような意味があるものなのだろうか?

13:00から社殿にて、甘酒祭りの式典が執り行われました。

 

 

江名子町の荒神社の甘酒祭③

 

式典が執り行われている最中、社殿の後ろでは、直会用の甘酒の準備が着々と進められていた。

 

 

 

13:40には式典が終了し、直会の甘酒、そして笹舟に乗せられた五穀餅と白子餅が配られた。

江名子町の荒神社の甘酒祭④ 江名子町の荒神社の甘酒祭⑥

五穀餅はサツマイモの味わいが主で、栗や大豆の味わいが後に続く、白子餅は生米を粉に磨り潰して固めた餅だけど柔らかく、笹の香りが移っており非常に美味しかった。

江名子町の荒神社の甘酒祭⑤

待望の甘酒も非常に美味しい!香りや甘さの質共にいくらでも飲めてしまう塩梅…1月13日の真冬に飲む暖かい甘酒は格別の味でした。

式典が終わりから直会の終わりまで実に20分の間に、どんどんと氏子の方々や参拝客が山を下っていき、神社にはほんの数名の関係者が残るのみとなる。

江名子町の荒神社の甘酒祭⑦

長い準備期間とは裏腹に、大抵の場合、祭り本体はあっという間に終わってしまう…終わりの余韻を感じながらこの地を後にしました。

今回の取材に応じてくださった町長を始め、氏子会の方々に感謝の意を表して終えようと思います。

 

荒神社の甘酒祭の情報

開催日:閏年の新暦1月中の土日(閏年の旧暦11月18日)

※過去の日程を見ると1月上旬の土日に行われると見ておいた方が良い。2020年は13日(月)が成人の日で丁度良かった為か、日・月曜日の日程で開催されていた。

・1月12日(日)…地鎮祭及び甘酒仕込み

・1月13日(月)…甘酒祭(12:30〜公民館から神社へ移動、13:00〜式典、13:40〜神社にて甘酒振る舞い)

最寄り駅(アクセス):JR高山駅から南東に5km、国道361号(美女街道)沿い、飛騨ふる里トンネル近く。※アクセスはタクシーがお勧めかもしれない。

住所:岐阜県高山市江名子町4946

 

参考文献

高山市市役所(荒神社の夫婦杉)

高山市市役所(江名子バンドリの製作技術)

岐阜県神社庁(荒神社・あらがみしゃ)

・飛騨の伝説と民謡:24甘酒祭

飛州志(国立国会図書館デジタルコレクション)

飛州志(第4巻・p25)(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)

・岐阜新聞(1999年(平成11年)1月10日・日曜日:甘酒祭の日程は1月9~10日)