黒ぶ~Logその17:なぜ甘酒探求家黒猫クロぶーは甘酒探求家を始めたのか?Part5

こんにちは!

甘酒造りを始めて20年以上の甘酒探求家黒猫クロぶーです。今回は前回に続き、大学終わりの進路と社会人そして甘酒探求家になった事を書こうと思います。

大学4年と修士2年は就活の時期、実際は四年制の大学の場合は3年の冬頃から、修士の場合は、1年の冬から、ひたすら就活にあたる時期かと思います。

甘酒、チーズ、ヨーグルトをこよなく愛していた僕はどんな道に進もうとしていたかというと、そうです!乳業関係の企業を受けまくったのです!流れはエントリーシート、一次面接とSPIなどの試験を受け、二次面接、そして最終面接なんていうのが大体の流れではないでしょうか。チーズの研究、ヨーグルトの研究がしたくて、色々受けたけど、まぁ、ことごとくお祈りされる訳です笑

※お祈りとは…就職試験を受けた際に、メールまたは封書で『誠に申し訳ありませんが、この度はご希望に添えない形となってしまいました、貴方様の今後の活躍をお祈り申し上げます』的な感じの定型文が来るため、お祈りもしくはお祈りメールなどと現在の学生達には言われています…

 

地方の企業もちょいちょい受けたかな…お祈りされたり、凹んでたりたり…

 

あの時は酒蔵関係は全く受けずに乳業関係及び乳酸菌関係ばかりしか目に映っていませんでした。

 

そして、選んだのは乳酸菌の培養やフリーズドライを得意にしている会社。

※この時に参加した健康博覧会で、白水舎乳業の『百白糀』にであう!

転職をして、ヨーグルトや乳酸菌飲料を造る会社。

 

そうして働いていく中でも日々同じことを淡々とするのが苦手なタイプなので、外で違う空気に触れあうように興味関心が湧いたらアタックするなんてことをやっていました。

自分の持ってる知識をアウトプットして活かしたいと考えた時は、株式会社リバネスのリバネス会員になってプレゼンするぞーってなったり、日々同じことを淡々とするだけでなく人生には常に学びをなんて考えた時は勝間和代さんの勝間塾に入り、甘酒造りをもっと究め自身でもワークショップとかをやりたいと考えた時に小倉ヒラクさんの麹造りワークショップに参加したり、常にトライ&放置&エラーな日々…放置あかんやろう…

 

それで、二年前のある日、知人に言われたんです…あまざけが一番いいんじゃないかと…

 

その当時、あまざけが少しづつ広がりつつあるときで、僕は甘酒を小学校4年から造り続けていて、東京農業大学で醸造学を専攻していたことも相まってぴったりだったんです。

 

麹も乳酸菌も酵母も、キャプテン翼の翼君のボールは友達以上の年月もお友達な訳です!!

 

知らず知らず、甘酒もとい菌と付き合いだして20年以上…まさに灯台下暗しとはこのことで、これが自分の強みであることに実はあまり気が付いていなかった。甘酒が美味しくできるのは当たり前なんて思っていたけど当たり前じゃなかった事実…

たぶん、勝間塾に入っていなければ、甘酒探求家を未だやれていなかったかもしれません。甘酒探求家のおかげで、自身でサイトを作り、運営するなんてスキルも身に付きましたし、それを応援してくれる仲間にも出会えたのです。

 

おぉー、やっぱり何でもやってみるもんだな…と思う反面、野球で例えるなら、打率は酷いものなので、1割打者から3割打者にステップアップを目指していくのが今後の課題です。

 

今回は、なぜ甘酒だったのか、甘酒探求家になったのかの話をしました。ほんとは2~3記事もいかないくらいで納めようと思っていたのに5記事6000文字くらいの大作になってしましました(笑)

ここでは今後何をやりたいのかを書きませんでしたがそれはあえてそうしました。僕は思いついたまま広げ過ぎると収拾がつかなく、手も足りなくなるので安易な宣言はやめようと思ったんです(;´∀`)

でも、やりたいことや実現したいことは山ほどあるので後々暴露していこうかと思います。

 

長々と、ありがとうございました。

 

完!!


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